ここまで色々ありましたがマチュピチュ遺跡に到着。

そして6:00の最速のチケットでマチュピチュ遺跡に入場。

僕がチケットを予約していた日はストライキのためやむをえない理由とされて、その日のチケットを見せると時間も日にちもフリーで入れるようになっていました。これは非常にありがたい。
わくわくで入場すると目の前に広がっていたのは…

果てしない霧。目では見えるけど写真には何も映らん。流石に朝6:00のチケットは早すぎたか。とは思いつつも霧の中に見えるマチュピチュほど幻想的なものもありません。
ですがこのまま少し時間が経つと、

少しずつ霧が晴れてマチュピチュ遺跡が見えてきました。正直でもが長引くようならオリャンタイタンボを見れたということで我慢しようかとも考えていましたが、マチュピチュ遺跡は別格です。これを見ないで日本に帰るなんて考えられない。そう思わせられる幻想的な光景がありました。
それでは一つ一つ歩いたルート通りにマチュピチュ遺跡の説明をしていきます。
マチュピチュ遺跡全体からは少し離れた高台にある見張り小屋。ここの近くにはバリケードが貼られていて入れませんでいたが、この周辺からマチュピチュ遺跡を一望することができます。

市街地入り口。この門をくぐるってマチュピチュの市街地に向かいます。

市街地入り口の門を通り抜けると石造りの建物が並ぶところがあります。ここは作業小屋と言われていてたくさんの加工された石が発見されたんだとか。

この作業小屋から少し離れたとことには石切場があり、マチュピチュの建造物のほとんどが、ここで切り出された硬い花崗岩を使って作られています。花崗岩を加工するいためには黒曜石が使われていました。

この石切場を抜けたあとに少し後を振り返ると墓地跡を見ることができます。どうしてこの場所が墓地だと分かったのかというと、この場所から大量の遺骨が発見されたからです。

さて次このまま歩き進んでいくとマチュピチュ遺跡の重要機関の集まる聖なる広場に到達します。この聖なる広場には3つの窓の窓の神殿、神官の館、主神殿が存在し、神聖な儀式が執り行われていたと考えられている場所です。

まずこの広場の真ん中にある大きな石。儀式の時に生贄をこの石の上に置き、太陽の神々に祈りを捧げていたとされています。確かにサイズ的にも人を一人のせたらちょうどピッタリのいいサイズだなと思いました。生贄はどうやって決めていたのかなど妄想が膨らみます。

そしてこの石の背後に存在するのが三つの窓の神殿。太陽が登ってくる東に設置されていて三つの窓は夏至の日の出の位置を示しているのだとか。太陽を崇拝する国において夏至の太陽の位置を示す建物の重要性。それはとてつもないものでしょう。

そしてこの広間の中でも異様な構造の主神殿。この三方に立つ石組みには台形のくぼみがあり、これは飾り棚で、宝石やミイラが飾られていたと考えられています。怖い。

そしてこれが神官の館。聖なる広場や主神殿で祭事が行われる際に神官が待機したり、祈りを捧げた場所と言われています。確かに、他の二つに比べるいと規模も小さいし石の組み方も雑な気がします。

さて広間を通り抜けて階段を登ると、マチュピチュ遺跡の中でもっとも標高の高い場所に存在するインティワタナを見ることができます。インティワタナとは太陽を繋ぎ止める石という意味で、中心に東西南北を指し示す角柱のある石です。この石は太陽暦を利用したインカ人が日食によって太陽が消えないようにする儀式を行なったとか、日時計として使われたとか色々な説があります。

インティワタナを見たあとには、もはや恒例の棚田が見えてきます。周りが山だらけで、食糧を輸入みたいなこともできない時代なので、少しでもの農地を整えて農業をしなければならないので当然の発展ですね。

ここを通り抜けるとワイラテという建築が見えてきます。この建物は利用方法が謎で、食糧倉庫として使われたとか見張り小屋として使われたとか色々な説があるそうです。

そしてこの建物の後側には次の日行こうと思っているワイナピチュ山への登山口がありました。

ここまでくると嫌でも目に入るのが、聖なる岩と呼ばれる一枚岩。猫の形をしているとか、山を崇めたインカ人が祈りを捧げたとか言われているが要は結局なにも分かってないってことです。確かにここに大きな岩がある意味がわかりません。個人的には的に攻められてきた時にこの岩によって敵を左右に分散。ワイラテから槍でつくみたいな攻城戦を意識した岩みたいに見えなくもないとおもいましたがインカ帝国の石の加工技術があればもっと効率的な要塞を作れそうなのでおそらく違うでしょう。

さて、このまま順路に従って歩いていくと三つの入り口を持つ家が見えてきます。この建物の中はとても広くて、家というよりは学校のような公共の施設だったのではないかと言われています。植物実験場にしても学校にしてもある程度文明を拡大していくには、未来のことに投資をしていかなければいけないのかもしれません。

この学校を通り抜けると二階建ての家が見えてきます。急斜面を利用して建てられていて一階と二階のどちらからでも出入りできるようになっています。ちなみに中をよく見ると一階から二階に行く用の階段もありました。

それにしてもマチュピチュ遺跡は入場制限を設けているからか、直前にストライキがあったからか、早朝だからかわかりませんが人が少なくて、一人で歩いていると本当に冒険をしている気分になってきます。

さてしばらく歩くと、少し変わったものが見えてきます。これは天体観測の石と呼ばれていて、水を張って天体を観測するための装置だと考えられています。ただ、水面に映る天体を観測するにしては背後の壁が近すぎる気もします。

ここまでくるとほとんどコース2も終わりです。この天体観測の施設を通りすぎると今も水が流れている水飲み場があります。この水の水源遠い山にあり、太陽の神殿のすぐ脇の階段に沿って伸びていて、居住地に水を供給しています。

そして一番最後に、アンデネスの段々畑と風通しのいい貯蔵庫を見ることができます。

さて次の日、マチュピチュ遺跡を上から一望するべくワイナピチュ山に登ります。その前に、昨日のコースでは見ることのできなかった遺跡があるので紹介します。
ちなみにこの日は霧も少なくいい天気で写真映えしました。

まず初めにこの危なっかしいバランスで立っているのが太陽の神殿と陵墓。マチュピチュ遺跡で唯一曲線を持つ神殿で、下の部分は天然の洞窟を利用した墓地になっています。

また陵墓の入り口には階段があり、奥には墓石のようなものがあります。

そして次に見えてくるのが王女の宮殿と呼ばれる建物。他の建物に比べて明らかに石の組み方が綺麗なことから、実際に皇女が住んでいたかは不明だが高貴な身分の人が住んでいただろうと考えられています。

そしてこの建物も同じ理由で皇帝の部屋などと言われています。この建物は太陽の神殿に向かって建てられていおり、バチャクティ王がマチュピチュを訪れた際に利用したとされることから皇帝の部屋と呼ばれています。屋根がすこし雑だから、王が来るって分かって急ピッチで作ったのでしょうか。

そしてこれがコンドルの神殿。インカの世界観の中で天と地を結ぶ神とされるコンドルの名を冠した建物。地面にコンドルの頭部と嘴。その後方にコンドルの翼を模った大きな岩が、翼を広げて今にも飛び立とうとするコンドルを彷彿とさせる遺跡。建物の上部は牢獄、下部は拷問部屋というような説があるが真相は不明。個人的には天と地を結ぶ神の建物で拷問が行われていたとは考えにくいと思います。

さて、初日に見れなかった重要な建物も全て見終わったのでいよいよワイナピチュ山に登ります。ワイナピチュ山に登る前に自分の名前を書くように言われました。

登り始めて、十分とたたないうちに息が上がります。ワイナピチュ登山なんて余裕だろうと思っていましたが、高地特有の心肺への負担は侮れません。呼吸を整えながらゆっくり登っていきます。
雨季で、急勾配の石の階段が濡れていてとても滑りやすくなっていて、少し油断すると転落なんてこともありえそうな状態です。

一時間半ほど登るとラストスパートと言わんばかりの急勾配の階段がやってきます。みんな手も使いながら慎重に登っていきます。

そしてついに、ワイナピチュ山山頂に到着。

順番待ちをして、マチュピチュ遺跡とともに記念写真を撮ることができました。

正直マチュピチュ遺跡は、見張り小屋のところから俯瞰することができるのでわざわざワイナピチュに上らなくてもいいかもしれませんが、高台からマチュピチュを見下ろすと、マチュピチュ遺跡が一体どういう場所にあるのかがよくわかり、なるほどこれは発見が遅れたわけだと納得しました。
ついにマチュピチュ遺跡完全攻略。大冒険の最終目的達成。
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